今日は、手作りの小物でハロウィンの気分を味わってもらいました。
秋の遠足で、知立の弘法さんにお参りに行きました。
バスを借りて、相談員の運転でしたが、思ったより運転がうまく、安心して乗っておれました 。
駐車場は想像以上に狭かったのですが、縁日にはたくさんの参拝者でごった返すそうです。今日は、人もまばらでゆっくりと参拝できました。
昼は、お待ちかねのうな丼です。看板には一色産と書いてあります。
皆さん、しっかり味わってくださいね。苑の食事ではなかなか食べれませんので・・・。
帰りには、名物の「大あんまき」を食べました。
職員でも半分でいいと言って二人で分けて食べているのに、「これは、なかなかの味だね!」と言って一個全部を軽く平らげた利用者さんもいました。
苑からも近いので、あまり疲れることもなく、皆さん元気に帰苑されました。 1回10人程度、年に2回の遠足なので、順番待ちということで皆さんを参加させてあげられないのが残念です。
10月18日(日)8:30から地元の大根地区体育祭に参加させてもらいました。
300名以上、住民の2割くらいの方が参加されるようで、子供会や老人クラブも参加して他の地区に比べても参加率の高い体育祭のように思います。
天気に恵まれたというより、恵まれすぎて久しぶりに夏のような天候で、高齢の方の体調が心配でしたが、皆さん元気で最後まで楽しまれていたようです。
全員参加のビンゴゲームもあり、幼児からかなりの高齢のおじいさん、おばあさんまでが、数字が読み上げられる度に、歓声とため息が聞こえてきて、楽しいひと時でした。
段々と地域のつながりが薄くなり、地域の伝統行事がなくなりつつある今日このごろ、こうやっていろいろな年代の人が集まってみんなで一つのことに夢中になるということは、素晴らしいなと思います。準備や運営は大変でしょうが、これからも続くことを祈念します。
始まって以来(30年?)、まだ一度も中止となったことがないとのことで、雨で中止の際にどうしたらよいかは、ほとんど考えられていませんでした。
1年に1回の秋祭り、5月から準備に入り、準備万端整えたのに、台風 が押し上げたのか、予想より早く秋雨前線の雨雲がかかり、中止となりました。
入所者の方も、毎年家族と一緒に祭りに参加することを楽しみにしておられたのに、本当に残念です。でも、高齢者にとって、気温が低いなか、雨に濡れたら大変なので、大事を取って中止にしました。
中止にはなりましたが、ボランティアの方のご厚意で、少しでも祭りの雰囲気を味わってもらおうということで、施設の中で、和踊会の皆さんによる盆踊りや豊明太鼓双峰会の方たちの太鼓の演奏をしてもらうことになりました。本当にありがとうございます。
せっかくのお祭り、少しでも楽しんでもらえれば幸いです。
敬老会に、豊明市長、市議会議長、社会福祉協議会会長、豊明市健康福祉部長他の皆様が、お祝いに来ていただきました。
市長はじめ来賓の皆様から敬老のお祝いの言葉をいただき、感謝感激です。
数えで100歳以上の方2名(106歳と100歳)と、88歳になる方1名の計3名の方には、お祝いの品もいただきました。
最後には、市長から声をかけていただいた入所者から、「若いねえ!頼もしそう!」という声があがっていました。
豊明市の最高齢は108歳とのことで、106歳は、きっと最高齢の3本指には入っているものと思います。これからも、健康で長生きしていただき、豊明市の高齢者には、豊明苑の入所者が大半となればいいなと思います。ただ長生きというだけでなく、元気で楽しく生きがいを持って過ごしてもらえるよう、 これからも力を合わせて頑張ろうという気持ちにさせてもらった一日でした。
今日、準職員の方から、「地域ねこお助け隊」の話を聞きました。少子化が進む日本で、飼われているペットは、子どもの数より多いといわれています。私のところの犬もそのうちの一匹ですが、犬は1年に1回狂犬病注射しなければならないことから、市町村に登録してあり、鑑札を付けて管理されています。
一方、猫はそういうものがなく、捨て猫も多く、生命力、繁殖力が強く、どんどん増えて行ってしまうそうです。仕方なく、市町村で殺処分せざるを得なくなるので、何とか殺処分をなくして猫も自分の生涯を全うさせてあげたい。そのためには、繁殖しないようにして、地域ねことして生活し、虐待されず、飢え死にすることなく、一匹のまま、生涯を終えてもらうようにするというもの。それを知り合いとボランティアで活動しているとの話をきかせてもらった。
殺処分ゼロを目指して、色々な相談に乗り、役所に協力してもらい、政治家に訴えたりしながら、みんなに協力してもらいながら、ねこの幸せを求めて、活動しているとのこと。
聞いていると、野良猫が敷地内に入り込み嫌な想いをしている人は、エサをやらないでくれとか、こういう活動をしている人に反発したりと、理解してもらうのは、簡単なことではないようだ。
活動に力が入り、身体を壊されないか、自分の家庭を犠牲にされているのではないかと心配になる。
一方、人間だって変わらないのではと考えさせられた。
ちょっと前まで、しっかりしていて、叱られていた父親や母親が認知症になり、理不尽な言動をするようになると、それが何か月、何年も続くと、怒られたり、しつけられていた相手だけに介護の手がかかることが余計に我慢できず疎ましく感じてしまうということはないとは言えないだろう。マスコミで老々介護や親の介護で悲しい事件が流されるのを見るにつけ、例外的に起きた事件とは言えないと感じる。
虐待など、絶対にあり得ないとは言い切れない自分に不安になり、悩みながら毎日を過ごしている。
自分の言葉で主張できない人や動物、何を望んでいるのか、どうなることが幸せなのか、一所懸命考えることから始めるしかないかと、自分を納得させている。
どう思いますか?